私の自宅前には、大きな『やまもも』や『栗』の木をはじめ数種類の木
脇には『竹』が生えていて季節毎にいろいろな鳥が遊びにきます。
(日が暮れる頃には洗濯物を取り込む横でコウモリが飛び回ります
)
時々、食べ忘れ
の古い雑穀を庭に蒔いたり、干からびたミカンを枝にさしたりしておくとスズメ・ヒヨドリ・メジロ・ムクドリ・鳩などがたいらげてくれます
そんななかずっと同じ鳩なのか?何代目かの鳩なのかはわかりませんが、もう10数年以上前から鳩の夫婦が一本の木
に巣をつくり住みついています。
この鳩の夫婦を見ていると【夫婦】って...【親】って...【人】って...なんだろう...
なんて考えてしまうことがあります
鳩に限らず、生涯を同じパートナーですごす動物は他にもいますが(鳥が多い気がする)
彼らにはいわゆる倦怠期とか
離婚とか
仮面夫婦とか
冷却期間とか
諦めなんてものはないのでしょうか
はたまた子育てへの悩みや、ご近所つきあいへの気疲れなどなど
「あなたのそういうところが嫌」「子どもが巣立つまでは」「巣(家)を掃除しろよ」なんて不満はないのでしょうか
逆に何故人は「相手が喜んでくれることが嬉しい」から「何もしてくれない」へ、「元気で生まれてくれればそれだけで」から「あの学校へ行ってほしい」「いいところへ就職を」へと変わっていくのでしょうか
もちろん鳩と人を比べること自体に無理があるということはわかっておりますが【夫婦】としてだけではなく、【親】【男】【女】【人】として、時代とともに便利な生活が急速に進むなか
どんどん複雑になっていく私達【人】の心
何事ももう少しシンプルに生きていくことができれば、今よりずっと心軽く生きていけるような気がします
複雑すぎて絡まった糸で自分の首を絞めてしまう
私だから思うのかなぁ...
シンプルに・あるがまま・なるがまま・・・毎日ブツブツと呪文のように唱えております
洗濯物を取り入れる手を休め、仲むつまじい鳩の夫婦
を眺めながら、微笑ましく羨ましく
そして何故だかせつなくなってしまう私でした
『木々は育ててくれた人にも、切ろうとした人にも等しく涼しい木陰を提供し甘い実を与える。
こうして木々は我々に平等心を与える。
山々は暑い日も寒い日も、風が吹こうと雨が降ろうと悠然とし、我々に体のことを
気にしすぎないよう教える。
鳥は明日のことを思い煩わず、見つけただけの餌で満足し暮らしている。
そうして鳥は満足すること、将来を思い煩わないことを我々に教える。
死者は人生や、その楽しみのはかなさを教える。』
~by.ssoj~